我が魂の島ヨロン島 The Soul Island "Yoron"


本名:竹内富雄。1964年、東洋の真珠“与論島”で生まれ育つ。私の原点と魂は今もなおこの島にある。 I was born in the small island in Japan.The name of this island is "Yoron" where is very beautiful.
by yoronto
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2011年 10月 10日 ( 1 )


根強い“シマンチュ”と“タビンチュ”の区別意識

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与論島では、島民は昔から自分たちのことを“シマンチュ”と呼び、島外からやって来た人を“タビンチュ”と呼んで区別しています。
シマンチュを漢字で表現すると島人、タビンチュは旅人となります。
タビンチュは、ヤマトンチュ大和人)という言い方をする時もあります。
シマンチュはルーツが与論島にあるかぎり、島外で長く暮らしていてもシマンチュのままです。
逆に、タビンチュは島に移り住んで10年経っても20年経ってもタビンチュのままです。

これは何も島外からやって来た人を排斥、差別しようとしているのではなく、島民の意識の中に「島外からやって来た人は自分たちとは違う人種」という思いが何となくあることによります。
差別じゃなく、相応しいのは区別という表現かもしれません。
この意識の壁というのはなかなか崩れません。
特にお年寄りや地元を離れたことのない人にはこの区別意識は根強いでしょう。
お年寄り同士の会話の中で、「あそこのお嫁さんはタビンチュらしいね」、「あそこのお店はタビンチュがやってるみたいだね」などといった言葉が出てきたりします。

ただ、島を出て島外で暮らす人も多いし、島外で暮らしていたシマンチュが島に戻るケースも多いので、タビンチュに対する意識の壁は以前に比べるとかなり低くなっているかもしれません。
シマンチュとタビンチュが結婚することも増えたので、そういうことも意識の壁を低くするのに影響を与えているのでしょう。
とは言いながら、古くから根付いてきた“シマンチュ”と“タビンチュ”の区別意識はそう簡単にはなくならないでしょうね。

時々、私が住んでいる東京でシマンチュやタビンチュの友人同士が合同で集まることがあるのですが、そんな中でも、シマンチュ同士だとどうしてもお互いの意識の距離感が縮む傾向があります。
これは与論島特有のものではなく、地域性が持つ特徴なのかもしれません。
東京の人が東北地方へ行ったら、地元の人はやはり似たような意識を持つでしょうし。
私は自分自身が与論島出身なので、与論島ではこうですよと与論島のケースを紹介しているにすぎません。

タビンチュというのは、冒頭でも言いましたが漢字表記すると“旅人”となり、旅人なら旅なのだからいつかは去っていくものです。
しかし、与論島では一生暮らしたにしてもタビンチュはタビンチュのままなのです。
子供が生まれるとタビンチュの子供となります。
そういうタビンチュでも、島暮らしが何代も続けてばそのうちシマンチュになっていくのかもしれませんが。
だって、ルーツをたどれば与論島の島民もよその地からやって来たわけですからね。

“シマンチュ”と“タビンチュ”の区別意識は、時として島外からやって来た人に、「閉鎖性」を感じさせ、島民との交流を難しくさせる面があります。
その最たるものが、島の学校に島外から転校してくるケースです。
大人は社会で揉まれ対人関係の処世術を身につけているのでまだいいでしょうが、子供の場合は何かと苦労がつきまといます。

最近の学校は標準語での会話も多いようなので比較的コミュニケーションをとりやすいでしょうが、私の子供の頃は多くの生徒が授業以外は方言を使っていました。
私の学校時代、同じクラスに転校生がきたことが何度かありましたが、方言環境の中、転校生はとまどい、溶け込むのに苦労していました。
小学校時代に仲良くなった転校生は一生懸命島の方言を覚えていたほどです。
島の方言は島の大切な文化、一方で島外の人には壁をつくってしまうもの、両立ってなかなか難しいもんですね。

世界はグローバルの時代だし、世界経済はボーダレスの時代です。
日本の国際化はどんどん進んでいます。
そんな中で人々の意識も変化しています。
その一方で、自分たちの独自の文化がなくなるのを懸念し、守ろうという動きもあります。
これは日本にかぎらずどこの国でもあり、それぞれの国の中の地域でもあります。

私は、与論島の島民の意識が島外の人たち、都会の人たちと同じになる必要はないと考えています。
自分たちの文化や慣習が多少の壁になったにしても、その地ならではの自然発生的に出てきたものや先祖から受け継いだ文化などは、大事に守ったほうがいいような気がするんです。
“シマンチュ”と“タビンチュ”の区別意識はあれど、お互いが打ち解け合って、お互い学び合い、そこからいいものを生み出していけばいいのではないか、そう思うのです。

by yoronto | 2011-10-10 09:02 | 島の人々