我が魂の島ヨロン島 The Soul Island "Yoron"


本名:竹内富雄。1964年、東洋の真珠“与論島”で生まれ育つ。私の原点と魂は今もなおこの島にある。 I was born in the small island in Japan.The name of this island is "Yoron" where is very beautiful.
by yoronto
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カマキリ(キョーリバタムヌ)

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写真に写っているは何だと思いますか?
えっ、被写体が何だかわからないって?
被写体は、枯枝にみえるやつ、そうそうそれそれ。
んでも、それ、実は枯枝じゃないんですよ。
なんとカマキリなんです。
カマキリって、ふつう緑っぽい色の印象がありますよね。
でも、与論島にはこんな茶色のカマキリも棲息しているんです。

方言では“キョーリバタムヌ”と呼ばれています。
キョーリバタムヌは「壊れた機(はた)」という意味です。
機というのは機織りに使う木製の器械のことなのですが
それが壊れた状態に似ているということなんでしょうかね。
私も由来はよく知りません。
こんな珍しい昆虫なのですが、島の開発の進展とともに
たぶん数は減少していっているのではないかと思います。
開発と自然が両立しにくいのは淋しいかぎりですね。
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# by yoronto | 2005-08-03 07:30 | 島の珍物

島の繁華街と交通機関

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写真は島内一番の繁華街“茶花(ちゃばな)”の風景です。
東京でいえば新宿、渋谷、銀座、大阪でいえばキタ、ミナミといったところになるんでしょうが、
まぁ人口6,000名の小さな町、しかも離島ですからこんなもんでしょうか。
私は現在、東京渋谷区の本町というところに住んでいるのですが、近所に細長い商店街が
あります。
東京に住んでいると、ずいぶん寂れた商店街という印象を持つのですが、
与論島の繁華街に比べるとすごく活気のある繁華街に見えるから不思議です(笑)。

私の実家は、島の位置関係でいえば、この茶花のある位置とは反対側にあります。
ただ、島は丸い形状をしており、周囲も23キロ程度しかないので、
島内を横断する道路を車で走れば、15~20分ぐらいで茶花に着きます。
島の人々は、日用雑貨、食料品などの買い物をするときは茶花まで出掛けていきます。
もちろん、島のあちこちに小さいお店は点在しているんですけどね。
茶花には、お店の他にも役場、消防署、信用金庫、農協、警察署派出所などの主要機関があります。

島内の移動は自家用車を利用する人が多いのですが、バイクや自転車を利用している人も
たくさんいます。
また、そういう乗り物を利用できない人は、遠くまで移動する場合、島内を一周するバスを
利用するか、タクシーを利用することになります。
タクシーといっても、都会のように道路をバンバン走っているのを呼び止めるわけではなく、
必要なときにタクシー会社へ電話して依頼するのです。
夏の観光シーズンなどを除くと、島内を走り回っている車両をあまり見かけません。
内地の渋滞の世界とは無縁のような島内交通事情です。
おっと忘れるところだった。
写真に写っている信号機は島唯一の信号機で、私が観察したかぎりなぜかいつも黄色の
点滅でした(笑)。
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# by yoronto | 2005-08-02 10:41 | 島の文化

サトウキビ畑

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サトウキビをかじったことはありますか?
かじると甘いんですよ。
子供の頃、おやつ代わりによくかじっていました。
与論島の産業といえば農業漁業観光業が主ですが、特にサトウキビは主力産業です。
島民の多くがサトウキビ栽培で生計を立てています。
島全体がサトウキビ畑で埋め尽くされています。
私の実家もサトウキビ畑をいくつか所有しており、収穫期には一家総出で収穫にあたります。

サトウキビの収穫というのは重労働です。
今でこそ島全体の土地区画整備事業で道路網が整備されていますが、
道路が未整備だったときは肉体労働でサトウキビを運搬するしかありませんでした。
運搬するのは、畑からサトウキビ運搬のトラックが往来する道路までの区間です。
小さな畦道を、重さが数十キロにもなるサトウキビの束を担いで歩いたものです。

サトウキビは国の保護産業です。
サトウキビは砂糖の原料になりますが、海外から輸入したほうがずっと安いでしょう。
したがって、サトウキビに代わる次の産業の育成は与論島の最大の課題です。
もう一つの主力産業である観光業も海外旅行に押されてふるいません。
かつて観光ブームで潤ったこの島の前途は厳しいものがあります。
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# by yoronto | 2005-08-01 06:59 | 島の産業

与論島への行き方

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与論島には空港があります。
なので飛行機で行くことができます。
ただし内地からの直行便はないので、那覇空港鹿児島空港で離島便への乗り換えが
必要です。
東京からだと乗り継ぎ時間を入れて約3時間のフライトで与論島に着きます。
東京から沖縄、鹿児島までは便数が多いのですが、そこから与論島までの便数が少ない
のが難点です。
だから、お盆休みや正月休みで帰省する際のチケット確保は大変なのです。

前回帰省した際は、鹿児島経由でした。
写真は鹿児島空港です。
遠くに霧島連峰が見えます。
鹿児島経由で帰るときは、空港内のレストランで鹿児島名物のさつま揚げ、薩摩地鶏刺、
キビナゴをつまみにしてビールを飲みます。
美しい霧島連峰を眺めながらほろ酔い気分になれます。
そして与論島行きの便に乗ると、ちょうどいい感じで現地に着くのです。
沖縄経由で帰るときも似たような感じで一杯やってから乗り継ぎます。
与論島までの道中ではこんな楽しみもあります。
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# by yoronto | 2005-07-30 07:44 | それ以外

亜熱帯植物

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与論島の気候は亜熱帯気候です。
そのせいか、島のあちこちに亜熱帯植物が群生しています。
私はその分野はとんと無知なため、残念ながら植物の名称は知りません。
植物に興味のある人なら、島の探索は面白いかもしれません。
島にやってくる観光客の多くは、海遊びをするのが目的なのですが、
植物とか、島特有のいろんなものにも興味を持ってほしいと思います。
島のあちこちに野生で群生していた植物が、都会の花屋さんで高値で
売られていたりするとビックリします。
島の人には価値がなくても、都会人には価値があるものってあるんですね。
あなたも与論島へ行って価値のあるものを発見してみませんか?
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# by yoronto | 2005-07-29 09:47 | 島の珍物

海岸と白い砂浜

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与論島といえば、何といっても海岸と白い砂浜の美しさが人々を虜にします。
私の実家から100mぐらい歩けば写真の海岸にたどり着けます。
与論島では、誰でも子供の頃から海で泳いだ経験を持っています。
また、食卓にはいつもこの海から獲れた新鮮な魚介類が並びます。
なんたって、島の周囲は海ですからね。

初めて東京に上京したとき、全国的に有名な湘南海岸に行きました。
さぞかし美しい砂浜が広がっているんだろうなと胸ときめかせて行ったのですが、
現地にたどり着いた瞬間ガッカリしちゃいました。
私の目に飛び込んできたのは灰色というかどす黒い砂浜。
砂浜というのは全部白いもんだと思っていた私には俄かには信じがたい光景でした。
最近は慣れちゃいましたけどね。
都会から南の島へ行った人は、きっと島の海岸線と砂浜に感動すると思います。

その美しい与論島の砂浜も年々海の潮に浸食されて面積が小さくなっているようで
悲しいかぎりです。
私は結婚していないので子供も孫もいませんが、世界中に誇れる与論島の海岸線
と白い砂浜は孫の代、その先の先まで残ってほしいものです。
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# by yoronto | 2005-07-28 16:01 | 島の見所

森瑶子が愛した島

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作家の森瑶子(故人)が愛してやまなかったのが与論島です。
彼女がどういうきっかけでこの島にひかれたのかは知りませんが、
いつしか別荘を建てて暮らすようになりました。
主なき別荘は今でも島の片隅にひっそりと残っています。
実はこの別荘は私の実家が所有するサトウキビ畑のすぐ近くにあるんです。
周辺には民家一つない何となくもの淋しい場所ではありますが、見方をかえれば、
自然あふれる風光明媚な場所といえるかもしれません。
故人には失礼かもしれませんが、観光名所の一つにもなっています。
この別荘が建つまでは、この付近の海でよく魚釣り、魚獲りなどしたものです。

今の与論島には、かつてほどの観光ブームがありません。
かつては、島民の人口を越えるほどの観光客が押し寄せたものですが、
海外旅行が格安で行けるようになってから観光客は激減しました。
当時乱立したホテル、民宿などは今はすっかり閑古鳥が鳴いている状態です。
しかし、森瑶子が愛したのは、観光客であふれた騒々しい島ではなく、
静かで島民が日常生活を送っている“ありのまま”の与論島だったのかもしれません。
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# by yoronto | 2005-07-27 10:43 | 島の人々

長寿の島

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明治26年9月10日
何の日だと思いますか?
さっぱりわからないでしょうね(笑)。
実は私の祖母の生年月日なんです。
その祖母は、平成3年5月12日に他界してしまいました。
すごいですよね、約1世紀を生き抜いたことになります。
明治26年といえば、西暦にすると1893年。
戦後世代が増え戦争の悲惨さを知る世代が減ったなどといわれますが、
私の祖母はなんと、日清戦争(1894年)、日露戦争(1904年)、第一次世界大戦(1914年)
が起きた時代に生きていたんです。

与論島にはうちの祖母に限らず長生きしている人がたくさんいます。
与論島ばかりでなく、南の島々は長寿の島です。
長生きの秘訣は何なのでしょうか。
温暖な気候、汚れのない澄み切った空気、豊富な自然の恵み、思い浮かぶことはいろいろあります。
でも、本当のところはよくわかりません。
都会にはない人間味あふれるコミュニティが成立しているのかもしれません。
医療施設が充実しているわけでもなく、慢性的に医師不足の環境であるのに、
長寿が多いこの島は、それらが満たされた都会に住む人々に何を訴えているのでしょうか。
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# by yoronto | 2005-07-26 11:36 | 島の人々

魂の島

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与論島の方言に“尊尊我無(トートゥガナシ)”というのがあります。
内地の言葉でいえば「ありがとうございます」という意味です。
この尊尊我無という言葉には、たんに何かに対するお礼というより、神に対する感謝のような深い意味合いも含まれています。
尊尊我無の持つ意味と文化については、こちらに詳しく書かれています。

神に対する感謝の心、このことは島民が先祖を大事にする心につながっています。
与論島の島民は先祖を敬い、また年長者を敬います。
数年前に実家に帰省した際、我が家に親戚の人々が集まる機会があったのですが、そのとき人々の間でこんな会話が交わされていました。
「お前は今年で何歳になったんだ?」、「60ン歳になります」、「なんだ60歳か、まだまだ鼻タレ小僧だな。この島じゃ、70歳になって一人前だからな」
はたして内地でこんな会話が交わされることなんてあるでしょうか。

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# by yoronto | 2005-07-25 23:08 | 島の文化

東京オリンピックの年、私はこの島で生まれた

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1964年6月23日
これは私の誕生日です。
歴史を遡れば、この年には東京オリンピックが開催され、以後日本は高度経済成長の道を歩み始めたのだとか。
私の記憶するところ、12名もの大家族が同居するヨロン家が棲む与論島は、そういった景気の恩恵を受けることもなく、島民は相変わらず貧乏暮らしをしていたように思います。

我がヨロン家は貧乏ではありましたが、口うるさく、子供たちをこき使う両親のもと、ある時は戦争状態、ある時は一致団結し逞しく暮らしておりました。
家族構成は、祖母1名、両親2名、子供たち9名の計12名。
子供たちの構成を分解すると、男5名、女4名。
両親様、よくぞこんなにバランスよく産んでくれました。
ちなみに、私は7番目に位置し、妹と弟が1名ずつおります。

まぁ、そんなわけで私は、鹿児島県最南端の島与論島で生まれ、地元の高校を卒業し東京の大学に進学するまでの18年間をこの島で過ごしました。
私は今41歳なのですが、既に島で暮らしていた年月より長い年月を島以外で送っています。
最近なぜか、「自分の生き方の原点は故郷にあるのではないか」、「私の魂は遠く離れたこの島にあるのではないか」、そんなことをよく思うのです。
このブログでは、徒然なるままに私の故郷である“与論島(ヨロン)”に関することを書き綴っていこうと思います。
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# by yoronto | 2005-07-23 15:35 | それ以外