我が魂の島ヨロン島 The Soul Island "Yoron"


本名:竹内富雄。1964年、東洋の真珠“与論島”で生まれ育つ。私の原点と魂は今もなおこの島にある。 I was born in the small island in Japan.The name of this island is "Yoron" where is very beautiful.
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<   2011年 10月 ( 30 )   > この月の画像一覧


根強い“シマンチュ”と“タビンチュ”の区別意識

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与論島では、島民は昔から自分たちのことを“シマンチュ”と呼び、島外からやって来た人を“タビンチュ”と呼んで区別しています。
シマンチュを漢字で表現すると島人、タビンチュは旅人となります。
タビンチュは、ヤマトンチュ大和人)という言い方をする時もあります。
シマンチュはルーツが与論島にあるかぎり、島外で長く暮らしていてもシマンチュのままです。
逆に、タビンチュは島に移り住んで10年経っても20年経ってもタビンチュのままです。

これは何も島外からやって来た人を排斥、差別しようとしているのではなく、島民の意識の中に「島外からやって来た人は自分たちとは違う人種」という思いが何となくあることによります。
差別じゃなく、相応しいのは区別という表現かもしれません。
この意識の壁というのはなかなか崩れません。
特にお年寄りや地元を離れたことのない人にはこの区別意識は根強いでしょう。
お年寄り同士の会話の中で、「あそこのお嫁さんはタビンチュらしいね」、「あそこのお店はタビンチュがやってるみたいだね」などといった言葉が出てきたりします。

ただ、島を出て島外で暮らす人も多いし、島外で暮らしていたシマンチュが島に戻るケースも多いので、タビンチュに対する意識の壁は以前に比べるとかなり低くなっているかもしれません。
シマンチュとタビンチュが結婚することも増えたので、そういうことも意識の壁を低くするのに影響を与えているのでしょう。
とは言いながら、古くから根付いてきた“シマンチュ”と“タビンチュ”の区別意識はそう簡単にはなくならないでしょうね。

時々、私が住んでいる東京でシマンチュやタビンチュの友人同士が合同で集まることがあるのですが、そんな中でも、シマンチュ同士だとどうしてもお互いの意識の距離感が縮む傾向があります。
これは与論島特有のものではなく、地域性が持つ特徴なのかもしれません。
東京の人が東北地方へ行ったら、地元の人はやはり似たような意識を持つでしょうし。
私は自分自身が与論島出身なので、与論島ではこうですよと与論島のケースを紹介しているにすぎません。

タビンチュというのは、冒頭でも言いましたが漢字表記すると“旅人”となり、旅人なら旅なのだからいつかは去っていくものです。
しかし、与論島では一生暮らしたにしてもタビンチュはタビンチュのままなのです。
子供が生まれるとタビンチュの子供となります。
そういうタビンチュでも、島暮らしが何代も続けてばそのうちシマンチュになっていくのかもしれませんが。
だって、ルーツをたどれば与論島の島民もよその地からやって来たわけですからね。

“シマンチュ”と“タビンチュ”の区別意識は、時として島外からやって来た人に、「閉鎖性」を感じさせ、島民との交流を難しくさせる面があります。
その最たるものが、島の学校に島外から転校してくるケースです。
大人は社会で揉まれ対人関係の処世術を身につけているのでまだいいでしょうが、子供の場合は何かと苦労がつきまといます。

最近の学校は標準語での会話も多いようなので比較的コミュニケーションをとりやすいでしょうが、私の子供の頃は多くの生徒が授業以外は方言を使っていました。
私の学校時代、同じクラスに転校生がきたことが何度かありましたが、方言環境の中、転校生はとまどい、溶け込むのに苦労していました。
小学校時代に仲良くなった転校生は一生懸命島の方言を覚えていたほどです。
島の方言は島の大切な文化、一方で島外の人には壁をつくってしまうもの、両立ってなかなか難しいもんですね。

世界はグローバルの時代だし、世界経済はボーダレスの時代です。
日本の国際化はどんどん進んでいます。
そんな中で人々の意識も変化しています。
その一方で、自分たちの独自の文化がなくなるのを懸念し、守ろうという動きもあります。
これは日本にかぎらずどこの国でもあり、それぞれの国の中の地域でもあります。

私は、与論島の島民の意識が島外の人たち、都会の人たちと同じになる必要はないと考えています。
自分たちの文化や慣習が多少の壁になったにしても、その地ならではの自然発生的に出てきたものや先祖から受け継いだ文化などは、大事に守ったほうがいいような気がするんです。
“シマンチュ”と“タビンチュ”の区別意識はあれど、お互いが打ち解け合って、お互い学び合い、そこからいいものを生み出していけばいいのではないか、そう思うのです。
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by yoronto | 2011-10-10 09:02 | 島の人々

【与論島再生のアイデア(7)】育てよう、呼び込もう、実務・実践ができる人材を

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野田首相が就任時に、きちんと実務ができる内閣をつくりたいとおっしゃっていましたが、仕事人としてその気持ちがよくわかります。
どんなかっこいいことを言おうが、構想を掲げようと、それをどう具体的に進めるのかのシナリオを描き、スケジュールを組んで、きっちりやっていくことができなければ、何事も絵に描いた餅で終わってしまいます。 
私はこれまで与論島再生のアイデアをいくつか提言してきましたが、これらも具体的な実行プランを作成し、現実的に進めていくことができなければただの絵空事で終わってしまうでしょう。

私の仕事人歴はかれこれ25年ほどになりますが、これまで民間企業4社に勤めいろんな仕事を経験してきました。
この間、仕事人としてこだわってきたのは、「実務をしっかり、きっちりやれる人間になる」ということでした。
そのためのノウハウ、スキルを身につけるべく頑張ってきました。
私にとっては現場ありき、実践ありきなのです。
※仕事人としてのブログはこちら→『ビジネスピープル共和国

現状の与論島にはたくさんのいろんな問題があるでしょう。
将来懸念されることも多々あると思います。
しかし、現状を嘆き、将来を憂い、不平不満ばかり並べ立てていても何も解決はしません。
まずは、自ら行動を起こし、他人へ働きかけ、一歩でも二歩でも前へ進んでいくことが大事です。

そのことに気付いている人たちは既に行動を起こしています。
そういう時に活躍するのは、やはり実務家であり実践家でしょう。

与論島の行政という視点から見れば、影響力のある県の行政機関や国の行政機関と関係を密にすることは重要なことです。
とはいえ、与論島の行政関係者が県や国の行政関係者との良好な人間関係がないところで何かやろうとしてもなかなか難しいはずです。
人間関係の重要性は、行政分野に限らず民間ビジネス、その他の分野でも変わりがありません。
そんな認識もあって、私は数年前から、霞ヶ関官僚が中心になって行っている勉強会・活動に参加し、人脈を築いたり、自分(与論島)を売り込むようなことをやっています。
(例:新しい霞ヶ関を創る若手の会『プロジェクトK』官民協働ネットワーク『Crossover21』など)

以前、『プロジェクトK』という勉強会に参加した時、講師を務めたある町の町長さんがいいご指摘をされていました。
「問題意識を持った皆さんがこうやって集い、勉強し、連帯することはとても大事なことです。しかし、いつまでも勉強ばかり続けていても意味がありません。勉強して学んだことは実践で活かしてこそ、実行に移してこそ意義も効果も出てくるのです」と。
まったくその通りです。
議論ばかりしていても、意見ばかり言っていても前には進みません。
そういう点からも、現在の与論島の課題として、実務・実践ができる人材を育て、また実務・実践ができる人材を島に呼び込むことが必要
なのではないかと思うわけです。
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by yoronto | 2011-10-09 11:19 | 島の再生

【与論島再生のアイデア】島民のライフスタイル、発信してはどうか?

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福島第一原発事故のため今夏の電力供給不足が懸念され、国や自治体や電力会社からの節電呼び掛けがあり、多くの人たちが節電に努めました。
こういう時に一致団結して協力できる日本人は本当に素晴らしいですね。

ところで、ある自治体では節電を推進するために“シエスタ”休暇なる制度を取り入れたところがありました。
シエスタというのは、スペインなど南欧の国で行われている昼食後に睡眠を取る習慣のことです。
要するに、お昼休みをゆっくりとることですね。

日本という国は何かと範を外国に求めたがる傾向がありますが、実はシエスタのような習慣は与論島にもあります。
私の実家は農家なのですが、与論島は亜熱帯気候の島で特に夏は暑いので日中は暑くてとても農作業ができません。
農作業ばかりでなく、外は陽射しが強く焼けるような暑さなので誰も日中は出歩きたがりません。
では暑い日中はどうするかといえば、お昼を済ませたらゴロンと横になって昼寝をするのです。
そして、暑さが和らぎ始めた頃から再び活動するのです。
もっとも、こういうスタイルは農業や漁業など第一次産業従事者に多いのかもしれませんがね。

シエスタの習慣にかぎらず、与論島は絶海の孤島で刺激も少ないということもあり、昔から島民気質としてのんびりしたところがあります。
今となっては笑い話ですが、私が東京に上京したての頃は、街中を歩く他の人たちのスピードに付いていけませんでした。
大勢の人が早足で移動する中で危うく他の人にぶつかりそうになったことが何度もあります。
都会はとにかくスピード、スピードでいろんなものが動きます。

しかし、時代は変わりつつあり、それに伴い人々の意識も変わりつつあります。
若い人たちの間では、従来型の効率性や利益重視の企業への就職をやめ、社会的貢献度の高い仕事に就きたいとか、自ら社会起業をしようという動きも広がっています。
また、従来の価値観の延長線上で生きてきた人たちも、もっとゆとりを持った生活がしたいとか、生活の質(クオリティ・オブ・ライフ)を重視するようになっています。

そんな世の中の変化の中で、ひょっとしたら、与論島の島民のライフスタイルに根付いてきた“ノンビリズム”、“ユッタリズム”みたいなものは多くの人に受け入れられるかもしれません。
映画『めがね』がヒットした背景には、そういうものへの憧れを持っている人が多いということもあるのでしょう。
自然以外にも世間に自慢できるもの、それは島民のライフスタイルの中にも見つけることができるのではないか、そう思うのですがいかがでしょうか?
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by yoronto | 2011-10-08 11:14 | 島の文化

与論島の海岸と湘南の海岸を比べてみよ、一目瞭然だ

与論島で暮らしていた頃、TVを通して知った“湘南”に憧れていました。
東京などの大都市に住む人が大挙して押しかけ賑わう海岸、サザンオールスターズの歌にも登場する海岸、とてもいい雰囲気の海岸、それが私が湘南の海岸を知らない時のイメージでした。

東京に上京してしばらくの後、その湘南を一目見んと出掛けました。
そして、湘南の海岸に着いた時、私が見たものは、、、
灰色の、というより黒ずんだ感じの砂浜、多くの人々によって踏み荒らされた砂浜、どす黒い色に見える海、海岸に打ち寄せる荒々しい波、たくさん建ち並んだ海の家など、そんな光景が目の前に広がっていました。
正直言ってガッカリしました、これがあの夢にまで見た湘南なのかと。

それまで与論島の海岸しか知らなかった私にとって、砂浜は白いもの、海岸に打ち寄せる波は穏やかなもの、そして、海岸には景観を壊すような建物などはあまりない、それが海岸のイメージだったのです。
私は湘南の海岸を自分の目で見て以来、与論島の海岸は、海は、砂浜は誰にでも自慢できるもんなんだと確信しました。
地理的なもの、環境的なものはどうしようもないので、湘南を楽しまざるをえない人々には申し訳ない気もするのですが、本当にそう確信したのです。

与論島民が誇っていい美しい与論島の海岸、海、砂浜。
ただ、これは大事にし、守らなければいつしかその美をなくしてしまうかもしれません。
海外にゴミを捨てたり、放置して汚したり、海岸に流れ着いたゴミや瓦礫などをそのままにしては誇れるものを失ってしまいかねません。
他人事だと思わず、島民一人ひとりが島が持っている大切なものを守ろうと心掛け、行動することが大事です。
都会で長く暮らせば暮らすほど、与論島の海岸、海、砂浜は本当に素晴らしいなぁ、島の宝だなぁと思う今日この頃です。

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by yoronto | 2011-10-07 10:09 | 島の見所

どうするんだ、どうするべきか、与論島の農業

現在、日本を取り巻く大きな国際問題の一つに、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に日本が参加するかどうかということがあります。
内容的には、単純にいえば、貿易関税を完全撤廃して自由貿易にしようということです。
これを日本が受け入れると、良い効果もあるでしょうし、逆にあまり良くない効果もあるでしょう。
ただ、これはどんなことをやっても必ずある物事の両面です。

良い効果はとりあえず置いておいて、あまり良くない効果について、与論島に当てはめて考えてみましょう。
TPPを日本が締結すると国内に外国の安い製品・商品がどっと入ってくる可能性があります、今以上に。
そうなるとどうなるか?
これまで高い関税で守られていた保護産業は価格競争力を失い大きなダメージを受けるでしょう。
例えば、その最たる例としては与論島の“サトウキビ”が考えられます。

与論島の三大産業(農業、漁業、観光業)の一つである農業の主要作物は圧倒的にサトウキビです。
島中サトウキビ畑だらけです。
だから、サトウキビ農家は直撃を受け、特にサトウキビ専業で生計を立てている人にとっては死活問題です。
以前よりサトウキビの将来については漠然とした不安はありましたが、それでも、TPPのような差し迫った問題に直面していなかったので、多くのサトウキビ農家は「そう簡単にサトウキビはなくならないだろう」と考えていたにちがいありません。

将来のことを考え、あるいは将来に不安を感じた農家の中には、既に他の作物の栽培を試みているところもあります。
しかし、それはまだ少数派です。
保守的な土地柄だし、島民の多くが町の行政依存体質なので、町が自分たちを守ってくれるだろうという思いもあるかもしれません。
お互いの人間関係をなあなあで済ませてきた島の文化、事なかれ主義の島民体質、、、今の状況はヤバイでしょ!、と思っているのは私だけではないはずです。

保護産業は守られているうちは何とかなっても、保護がなくなり自由競争にさらされると脆いものです。
日本の産業の過去の歴史をみればわかります。

急な方向転換は日本全体の農業も難しいでしょうし、与論島の農業も同様です。
ただ、早い段階でサトウキビに代わる何かを模索する必要があります。
私の実家もサトウキビ農家なので、まさに我が身に降りかかった大問題として私も試行錯誤したいと思っています。

それと、島に帰省する度に感じていることがあります。
島のスーパーで野菜類を買おうとすると、都会のスーパーに比べ、鮮度もよくなく、値段も高いし、それにとても品薄なのです。
自分の家で自家消費用の野菜類を栽培できる人はいいのでしょうが、お店で買わざるをえない人にとっては辛いところです。
与論島での暮らしは、収入は少ないのに物価が高いとなれば家計は苦しくなるばかりです。
野菜類は日々の食生活に欠かせないものなので、供給体制と流通網をしっかりしたものにし、安くて新鮮な野菜類をお店で買えるようにすることが必要だと思います。

与論島の農業を今度どうしていくべきなのか、残念ながら、現時点では私にもこれといったアイデアはありません。
今、世の中では、“安心・安全な食”に大きな関心が集まり、農業の重要性が叫ばれています。
与論島の農業のあり方の検討と様々な挑戦を今後とも続けていく必要があるでしょう。

<サトウキビ畑>
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<ドラゴンフルーツ畑>
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<里芋畑>
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by yoronto | 2011-10-06 10:09 | 島の産業

【与論島再生のアイデア(6)】海洋大学の設立を。荒唐無稽ですか?

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地域の活性化を考える時、真っ先に思い付くのが“その地域が持っている特性を活かす”ことです。
それでは、与論島の場合、それは何でしょうか?
私が思うに、それは「周囲を海に囲まれていること」かなぁと。
そしたら、この特性を活かさない手はないなと、自然にそう考えるわけです。
与論島が周囲を海に囲まれているという特性を活かした、私が思い付いた与論島再生のアイデアです。

与論島に海洋大学をつくる

荒唐無稽ですか?
こんなちっちゃな島、しかも交通の便も悪い、そんなもんつくっても誰も入学しないよって?

さてさて、それはどうでしょうか。
私の仕事人歴は25年以上になりますが、これまでいろんな仕事に携わってきました。
いろんな経験を通して学んだことの中に、「なるほど、たしかにそうだな」と納得し大いに勉強になったことがあるので紹介します。

アイデアを出す時に大事なことがあります。
.「どうせ~だから無理だろうな」という考え方をせず、とにかく自由に発想すること。
2.他人のアイデアを「そのなもんできるわけないだろ」と否定しないこと。
3.夢、理想を頭の中に思い浮かべること。

これができる人とできない人ではアイデアの出し方が違ってきます。
あれこれ勉強して知識豊富な人ほど、いろいろ制約条件が頭の中に浮かんできて斬新なアイデアが出てこないということはよくあることです。

大学をつくるお金はどうするんだ、どうやって入学者を集めるんだ、そもそも大学の先生やカリキュラムはどうするんだ、島のどこにつくるんだ、島外からやって来る入学者や関係者はどこに住むんだ、、、問題はいくらでも思い付きます。
ただ、そんなことを言い出せばキリがないし、次第に「やっぱり、現実的にできそうなことをやろう」という狭い考え方しかできなくなってしまいます。
はっきり言いますが、現実路線ばかり目指し、従来型のやり方の延長的なことばかりやっていては、絶対与論島の未来・発展はありません。

与論島には、小学校、中学校、高校まではありますが大学はありません。
小さな島ではありますが、周囲は海に囲まれているのですから、海のあれこれを研究する、海について学ぶ高等教育機関があってもいいと思いませんか?
ちょっと足を延ばせば、目の前に研究テーマはいくらだってあるのです。
海から遠く離れた大都会の大学の建物の中で海洋研究をするより、いつでも研究テーマを直接観察できる、触れられる場所で研究に没頭できる、勉強ができる、最高の環境だとは思いませんか?
しかも、都会のようにゴミゴミしていないし、空気も澄んで美味しいし、静かだし。

海の中のものをいろいろ採取して研究する、実験する、砂について研究する、、、研究・勉強テーマはいくらでも出てきそうです。
学生には自由課題を見つけてもらって自由に研究し成果を発表してもらうというのはどうでしょうか?
面白い発見、画期的な発見もあるかもしれません。
その中には将来のノーベル賞も!
与論島の海洋大学が海洋研究の最高の場所となれば、世界中から人材が集まってくるかもしれません。
夢があって楽しいと思いませんか?

<アイデア力のウォーミングアップテスト>
Q.「手」からあなたが思い付くことを、1分間で書けるだけ書き出してみて下さい。
(例)指、指輪、つかむ、手相、手あれ、手がないと不便、、、、何でもけっこうです。

これを複数の人でやってみて下さい。
間違いなく、どれだけの数出せるかは人によって差があるはずです。
「手」以外のものでもかまいません、何だっていいのです。
この訓練をすると、今まで見ていた物、事象について改めていろんな見方をするようになるでしょう。
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by yoronto | 2011-10-05 10:12 | 島の再生

与論島の発展に、島外の情報や人脈は絶対不可欠だ

私は現在東京在住ですが、友人や知人、周囲の人から、「ヨロンさん、郷里に帰らないんですか?」とよく言われます。
ここでいう“帰る”というのは、一時帰省という意味ではなく、郷里に帰ってそこで暮らすという意味です。
正直言うと、いつかは帰りたいという気持ちもあります。
余程悪い思い出でもなければ、自分が生まれ育った地に郷愁の念を抱き、何かをきっかけに「帰りたいなぁ」と思うのはふつうの感覚でしょう。

とはいえ、実際に帰ることを決意する場合は、そこで骨を埋める覚悟を持つでしょうし、その際には、郷里の発展のために何か貢献したいという思いが込みあげてきます。
そう思うと、自分が住んでいる今の環境を利用して多くのものを得、それらを持ち帰りたいと考えるようになりました。
持ち帰るものは、与論島の発展のために役立つものでなければなりません。
私にとってのそれは、“情報と人脈”です。

ネットなどからでも情報は得られるのでは?と思う人もいるかもしれませんが、いえいえ、情報というものは、住んでいる場所が違えば受け止め方も違ってくるものなのです。
同じ情報でも与論島に住んでいて受け取る情報と東京に住んでいて受け取る情報では、自分の情報アンテナの感度が違ってきます。
情報とはそういうもんです。

人脈はとにかく大事です。
島に住んでいる人が島外に向かって何かをしよとする時は人脈が活かせると効果が大きくなります。
島の経済活動として何かを島外に売り込みたい、PRしたい、行政上の協力を得たい、島外からいろんなものを持ち込みたい、島外のいろんな人たちに来てもらって助けてもらいたいことがある、、、、いろんな場面で人脈に助けられることがあるでしょう。

私は東京で暮らし始めて以来、大学時代の友人、これまで勤めた会社の元同僚たち、趣味の会での仲間、飲みを通しての飲み仲間、勉強会で知り合った人など、いろんな機会を利用して人脈づくりに励んできました。
特に人脈づくりを意識しないで付き合っていたこともありますが、何にしろ、縁があった人たちは私にとってはすべて人脈なのです。
この人脈は大事にし、もし本当に与論島に帰って住むことになったら大いに活かしたいと考えています。
与論島の発展に、島外の情報や人脈は絶対不可欠」というのが私の持論であります。

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by yoronto | 2011-10-04 13:59 | 島の再生

【与論島再生のアイデア(5)】行商文化を復活させてはどうか

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いつだったかTVを観ていたら、日本のある地方で今はほとんど姿を消してしまった行商が今なお活躍しているという話題の番組を放送していました。
ただ、その行商の人も高齢になりいつまで続けられるかわからないということでした。
この番組を観ながらふと思ったのです。
「あー、そういえば、子供の頃、与論島にも行商をする人たちがいたよなぁ。うちにもよく来てたもんなぁ」と。

その日獲ったばかりの新鮮な魚を売りに来る人がいたり、できたての豆腐を売りに来る豆腐屋さんがいたり。
うちの母などがよく買っていましたが、新鮮な魚、できたての豆腐の味は本当に美味しく、子供の頃は行商の人がやって来るのが待ち遠しかったものです。
そういや、本土から富山の薬売りさんも来てたなぁ。
その薬売りさんがおまけでくれる風船などが子供心になんと嬉しかったことか。

今、与論島ではそんな人たちはいるのでしょうか?
最近の事情はよくわかりませんが、大型のスーパーもできたし、車やバイクを所有する人も増えたので、多くの島民は繁華街“茶花”のお店などに買い物をしに行っているのではないでしょうか。
たまに、島外から島民の純情さにつけ込んで怪しげな商品を売り付けに来る人を見かけたことはありますが。

行商、何となく懐かしさを感じませんか?
といってもある程度の年齢の人たちにとってかもしれませんが。
昔の日本では大活躍していたのです。
ある時は大きな風呂敷にたくさんの商品を包んで背中に背負って歩きながら、ある時はバイクの荷台に商品を積んで走りながら、ある時は車に商品を載せて走りながら。
ある意味、日本の発展を陰で支えた商人たちだったのかもしれません。

冒頭で紹介したTV番組の話に戻りますが、番組に登場した行商の人はバイクに乗って洋服を売る商いをしていました。
その人は商売で各家庭を訪問しながら、そこで暮らす人たちと会話を交わし、情報をやりとりすることに喜びを感じ、ヤリガイを感じるのだそうです。
一人暮らしのお年寄りのもとへは、例え商品が売れなくても、相手の安否を気遣い、様子を見るために必ず顔を出しているのだそうです。
訪問されるお年寄りも、その行商の人がやって来るのを楽しみにしているのだとか。
そこには、人間関係の希薄な都会には見られない、売った買ったで終わってしまうだけの商売にはない、人間同士のつながり心と心の触れ合いがあるような気がします。

そこで、私の考える与論島再生のアイデアです。

与論島に行商文化を復活させてはどうか

私のアイデアはすべて、以前に『与論島再生のための100年ビジョン』の中で提言した与論島が目指すべきコンセプト「自然と生きる、自然に生きる、“魂の島”」に沿うものです。
人間同士のつながり、心と心の触れ合い、まさに人間が欲してやまない自然な生き方だと思いませんか?

与論島は小さな島だし、多くの家に車やバイクなどがあるので行商なんて意味がないと思われるかもしれません。
今どきそんな商売スタイルなんて流行らないし、儲からないし、考えるだけバカバカしいと言うかもしれません。
でも、本当にそうでしょうか?

今の世の中をよく観察してみて下さい。
世の中の変化を観てみて下さい。
3月11日の東日本大震災以降、福島第一原発事故の発生以降、人々の意識の中に変化が生じています。
エネルギーは安心・安全なものに頼りたい、食べるものは安心・安全なものを食べたい、いつまでも健康であり続けたい、周囲や地域の人たちと一緒になって安心・安全な街づくりをしていきたい、、、人間が本能的に持っていたもともとの原点に戻っている、いや向かっているような気がしませんか?
その時に大事になるのは、人と人のつながりです。
行商文化はそれを実現するための一つの手段です。

このアイデアには、行政の力よりも個人の思いと行動力が必要です。
自分の家の畑で作った新鮮で美味しい野菜をたくさんの島民に届けたい、漁で獲れた新鮮で美味しい魚を新鮮なうちに島民に食べてもらいたい、自分のお店で売っている商品やサービスを島の隅々まで運んでいきたい、自分が自宅で作ったオリジナルのお菓子やケーキを誰かに食べてもらいたい、、、行商を通して得られる人と人のつながり、喜びとヤリガイ、そんな島の文化、いいと思いませんか?
島外から移住してきた人たちが島になかったいろんなものを持ちん込んで行商活動を行ってくれたら、それもまた島の活性化につながっていくように思うのですが、いかがでしょうか?
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by yoronto | 2011-10-03 09:24 | 島の再生

【与論島再生のアイデア(4)】小さな畑付きの家を販売してはどうか

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島の繁華街のはずれに高級住宅地として売り出されている宅地があります。
民間企業の事業なので自由にやればいいとは思いつつも、果たして、現在の与論島でこういうものを販売しても売れるのだろうかといささか疑問になりました。
私が思うに、これは完全にバブル時代の発想なのです。

バブルで高値の不動産が売れに売れたのはもはや過去のこと。
今はデフレ経済で物の値段が下がり、個人の資産も目減りしている時代。

そんな時代背景にありながら、交通の便も悪い辺境の南の島で、高級な宅地を買い家を建てて住みたいと思う人はどれだけいるでしょうか。
地元の人が買うわけはないんですから、販売ターゲットは島外の人になります。
はっきり言って、私はほとんどいないと思います、余程魅力のある物件でなければ。

では、与論島では不動産業は成り立たないのか。
私はやり方次第で成り立つと考えています。
私のアイデアを述べます。

9月28日付の記事
で、私は「与論島が増やすべきは、観光客ではなく移住者だ」と言いました。
その考えに基づき不動産業を考えてみるなら、移住者が与論島の不動産に魅力を感じるようにしなければなりません。
そこで、私はこんなことを思い付きました。

小さな畑付きの家を販売してはどうか

これは高級別荘のようなものではなく、一般庶民が住むことを想定したものです。
このアイデアは、私の長い都会暮らしの経験からきています。
都会で住み続けている人、特に田舎を持たない人の中には、空気の美味しい、自然に囲まれた環境の良い土地で農業など一次産業に関わりながら暮らしたいと考えている人が少なからずいます。
私の知り合いにもそういう人はいるし、実際にそれを実行した人もいます。

そして、私がそういう田舎暮らし願望の人たちを観るに、農業といっても、与論島の農家がやっている大規模なものではなく、小さな畑でいいから自給自足ができる程度、あるいは少しばかり販売して現金収入が得られる程度でいい、と考えている人たちも多いような気がしています。
定年までにそこそこお金を貯め、子供も自立し、あとは余生を楽しく過ごしたいと考えている人などにはそういうライフスタイルは合うのでしょう。

与論島の現状をみると、島の人口は減る一方、産業の担い手である若者たちは島外へ流出するばかりです。
農家によっては自分の所有する畑の維持ができず、荒れ地にしてしまっている状況もあります。

私の実家の畑も今後どうなるか心配です。
島に荒れ地が増えることは自然化が進むことにはなりますが、反面、人々の暮らしという視点では活力が低下することにもつながります。
現実的な島民の暮らしからいえば、やはりそれはマズイでしょう。

そこで、それを解決するための策が私のアイデアです。
与論島は、荒廃化する島土を何とかする必要がある、島外(特に都会)にはできれば農業でもしながら田舎暮らしをしたいという人がいる、島は現実的な問題としてお金が欲しい、移住者はできるだけ安い費用で望むものすべてを手に入れたい、、、この両方のニーズをうまくマッチングさせられるアイデアだと思うのですが、いかがでしょうか?
与論島へ移住したいと思う人がその夢を叶えやすいようにし、それによって移住者を増やし与論島を活性化させていく、それが私のアイデアのポイントです。
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by yoronto | 2011-10-02 11:56 | 島の再生

【与論島再生のアイデア(3)】与論美化株式会社をつくってはどうか

<誰もが絶賛する与論島の美しい自然>
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与論島の最大の魅力は何かと問われれば、美しい自然と即答するでしょう。
その自然は島民に恵みをもたらし、島民の生活を豊かにしてくれるものでもあります。
与論島の島民は先祖代々この自然を大事にし、今もなお大事にし続けています。
子供や孫のためにも、今後生まれてくる未来の与論島民のためにも守り、残さなければならないものです。

島外から与論島を訪れた人たちが感動するのもこの自然です。
青い海、白い砂浜、島を取り巻くリーフ(珊瑚礁群)、美味しい空気、、、特に都会暮らしの人にはこの自然が癒しを与えてくれます。
私も帰省する度に与論島の自然によって癒されます。

この美しい自然を守るには努力も必要です。
何もしないと自然が自然を壊してしまうこともあるかもしれないし(例えば台風によって自然が破壊されるなど)、人々の心ない行為によって自然が壊され、汚されてしまうかもしれません(ゴミのポイ捨てや無節操な構築物の建造など)。

そういうことを気にかけ、何らかの対策を立て、行動するのは今を生きる島民の義務です。
そのために必要なことは、人々の知恵と行動です。
私も郷里である与論島の自然を守り・活かすためのアイデアを提供したいと思います。
私のアイデアはこうです。

与論美化株式会社をつくる

この会社は何をするのか?
1.徹底的に与論島の美化について考え、関連事業を展開する。  
  (美化計画の立案、予算化、社員の雇用、行政への提言など)
2.雇用された社員は、毎日与論島を美化する仕事をする。 
  (島中のゴミの回収、破壊されたものの修復、島民への啓蒙活動など)

会社運営にはお金がかかるので、町、民間企業、個人などが株主になって資本を構成したらどうでしょうか。
ボランティア活動のようなことだけでは収入が得られないので、例えば、環境関連商品の販売、リサイクルショップの運営、エコツアーの企画・実施など、積極的に事業展開してみてはどうでしょうか。

私が提言した与論島の今後のコンセプト「自然と生きる、自然に生きる、“魂の島”」に共鳴して移住する島外の人たちの移住支援事業の推進母体になってもいいかもしれません。
美しい自然の与論島に住み、その自然を守るための仕事に関われるなら喜んで移住しこの仕事に就きたいと考える人もいるのではないでしょうか。

これは、練りに練ったアイデアというわけではなく、ふと私が思い付いたアイデアです。
実現化するにはいろんな問題が出るでしょうし、困難なことも多いでしょう。
でもね、「与論島の美しい自然を守りたい」という思いは、島民なら、この島の出身者なら誰だって持っているはずです。
その思いをかたちにできる、実際に行動にできるアイデアなら、やり方はいろいろあるのではないか、賛同者が出れば、協力者が増えれば、そう思うわけです。
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by yoronto | 2011-10-01 10:53 | 島の再生