我が魂の島ヨロン島 The Soul Island "Yoron"


本名:竹内富雄。1964年、東洋の真珠“与論島”で生まれ育つ。私の原点と魂は今もなおこの島にある。 I was born in the small island in Japan.The name of this island is "Yoron" where is very beautiful.
by yoronto
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<   2011年 08月 ( 8 )   > この月の画像一覧


変わりゆく島の漁業

少年時代、親父に連れられてよく漁に行ったものです。
その頃は、島で行われている漁法は小規模なものが多く、船もサバニと呼ばれる古くから使われていた木の船や小さいボートが主流でした。

当時は魚がたくさんいる魚場もいろんなところにあっていろんな魚がたくさん獲れたものです。
しかし、時代とともに島の漁法も近代化し、本格的な漁船を使っての漁法が普及しました。
その結果、魚の獲り過ぎもあり漁獲高が減っていったと聞きます。
また、密漁なども行われて漁業関係者は頭を悩ませているとも聞きます。

古き良き時代を懐かしむのではなく、現状を嘆くだけでなく、島の産業である漁業の振興をどうするのか真剣に考えなければならない時代がやって来たのかもしれません。

<かつての漁で活躍したサバニ>
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<今でも小規模漁で使われているボート>
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<密漁を取り締まる看板>
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<島でもっとも大きい茶花漁港>
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<茶花漁港の水揚げ場>
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by yoronto | 2011-08-31 10:48 | 島の産業

与論島と沖縄本島はこんなにも近い!

東京に長年暮らしておりますが、私が「与論島は鹿児島県なんですよ」と言うと、「じゃ、帰省する時は鹿児島経由で帰るんですか?」とよく聞かれます。
こういう質問をする人は、おそらく、与論島の位置がわかっていないんでしょうね。

与論島は沖縄本島の目と鼻の先に位置しています。
天気のいい日には沖縄本島の北部がくっきりはっきり見えます。
写真で見てもわかる通り本当に近いんです。
だから、与論島へ行くには、飛行機を使う場合は、沖縄の那覇空港まで行き、そこで離島便に乗り換えて与論空港まで行くのがもっとも早く安い方法です。
あっ、与論島へはちゃんと飛行機が飛んでますからね!(笑)

与論島から沖縄本島をのぞむ。
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ちなみに、同じ鹿児島県で隣の島「沖永良部島」も肉眼で見えます。
沖縄本島との距離に比べると少し遠いです。
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by yoronto | 2011-08-30 11:18 | 島の見所

変わりゆく我が母校(与論小学校)

以前にも書きましたが、与論島にある私の母校は与論小学校、与論中学校、与論高校です。
2、3年前に帰省した時だったでしょうか、与論小学校の校舎の変貌ぶりにビックリしました。
立派になったというか何というか。

この小学校は創立から130年を超えるので建物もそろそろ建て替える必要があったのかもしれませんね。
学校は島ではシンボル的存在です。
大先輩たちの尽力で島に学校をつくることができ、子供たちがまともに教育を受けられるようになりました。

今は島を離れて住んでいますが、島の教育環境の整備をとても喜んでいます。
島の学校から与論島の、日本の、世界の発展のために尽くす人材が輩出されることを願ってやみません。
私も卒業生の一人として頑張ります!

<以前の与論小学校校舎>
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<新校舎建設工事中>
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<現在の与論小学校校舎>
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by yoronto | 2011-08-29 10:20 | それ以外

心洗われる島の夜明けの風景

与論島の実家に帰省する度に、必ず早起きし、実家近くの海岸に足を運んで夜明けの風景を眺めます。
都会暮らしで疲れた、荒れた心を癒してくれます。
心が洗われる気分になる瞬間です。
島の見所はあちこちありますが、特にお勧めしたいのが島の夜明けの風景です。

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by yoronto | 2011-08-28 09:09 | 島の見所

与論島一番の繁華街“茶花”の商店街

与論島は3つの地区に分けられます。
茶花地区、与論地区、那間地区。
島一番の繁華街は、このうちの茶花地区にあります。
茶花には長い商店街があって、町の役場や大型スーパーなどもあります。

もっとも商店街といっても、都会の商店街と比べるとお店の数も少ないし、人通りもかなり少ないです。
この商店街の雰囲気を写真で紹介します。
1枚目の写真は、茶花の商店街のあるあたりの遠景、2枚目の写真は、商店街全体の地図です。

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by yoronto | 2011-08-27 10:48 | 島の産業

島外から島の現状をみて思うこと(出身者として)

昨日、与論島の実家で暮らす姉から電話がありました。
用件は、きたる9月4日に町長選挙の投票があるが、現在、島では現職町長に対し1名立候補者が出て2名による一騎打ちになっているという話でした。
島外にいる人間として、いずれの候補者が勝っても島の発展のために頑張ってほしいと願いつつ、実際の選挙にあたっては島民たちの間でそうとう利権闘争が発生しているんだろうなと想像しています。

私は高校時代までこの島で過ごしましたが、当時思ったことは、「この島はなんて世の中から遅れているんだろう」ということでした。
もっとも、これは島の発展に何も貢献できない私の思いであって、大人たちは一生懸命頑張っていたのだと思います。
だから、島民の悲願であった大型船が寄港できる港湾施設もできたし、飛行場だってできたし、舗装された道路網も整備されたし、その他多くの施設もできたし。

島には現在小学校が3校、中学校が1校、高校が1校ありますが、高校を卒業する際には、島外の学校へ進学するか島外にある会社などに就職する、島で就職するか実家の家業を継ぐ、その選択をする必要があります。
地元の発展に貢献するには地元にとどまって汗を流すのがいいのかもしれませんが、残念ながら多くの若者たちが島の外へ出ていきます。
私もその一人で私は東京の大学へ進学する道を選び、以来島外に住み続け、既に島で過ごした年数を超えました。

年に1回程度帰省するのですが、帰省する度に胸を痛めるのは島の経済の疲弊です。
与論島の産業は大きくいえば、農業、漁業、観光業が3本柱です。
私が島で暮らしていた頃は観光ブームのおかげで観光業は大いに潤い、最盛期には島民の数を上回るほどの来島者数があったほどです。
それが今や我が目を疑うほどの来島者数です。
島内を回ると廃墟と化した観光施設などをよく見かけます。

以前に、東京・池袋で開催された『アイランダー2009』という国土交通省主催の島興しイベントの記事を書きました。
このイベントの見学に行って真っ先に感じたのは、日本全国どこの島も島の経済発展に取り組んでいる一方で、どの島も似たり寄ったりのことをしているなということでした。
島の観光をPRし、特産品を売り込み、、、などなど。

しかし、考えてみればわかることですが、他と同じことをしてもその島ならではの良さは伝えにくいでしょうし、差別化にもつながりません。
そういう点でいえば、今後の島の発展のためには他と差別化できるような独自の方向性が重要だと思うわけです。
私が考える一つのアイデアとしては、「与論島を世界中の高齢化社会の手本になるような“魂の島”と位置付け、モノは十分ではないかもしれないが人間の触れ合いやココロの満足度は世界一」、というのを目指してはどうだろうかというものです。

そのために必要なことは、そのことを島内外にPRするとともに、その実現に向けて一緒に取り組んでくれる仲間づくりかなと思います。
島民の中からの人材登用にとどまらず、広く世界から人材を集めるべきでしょう。
島外に住む人々の中にもこの考え方、方向性に共鳴する人は必ずいるはず。
島のトップである町長には、このビジョンを打ち出し、自身の人脈をフル活用し、アイデアをいろんな人たちから集め、全体をしっかりマネジメントしていく力が求められます。
島の外で暮らしながら偉そうなことを言ってしまいましたが、生まれ育った与論島への愛着は今なお持ち続けており、だからこそこういう思いを持つに至ったわけです。

世界にたった一つしかない与論島。
この島を愛するすべての人々がどんなかたちでであれ、どんな思いであれ、この島の良さが続くよう、またさらに良さに磨きがかかるよう願ってほしいと思う次第です。

与論町公式サイト

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by yoronto | 2011-08-26 09:51 | 島の再生

与論島にも過去の風景がある

映画『ALWAYS 三丁目の夕日』を観て、古き良き昭和の時代、人々は貧しかったけれど人間的ぬくもりがあった時代を懐かしみ感動した人は多かったのではないでしょうか。



昔があるから今がある、それは日本のどの地域でも、いや世界中どこの地域でも同じでしょう。
与論島にも昔がありました。
子供たちはいつの時代でも無垢で無邪気なものです。

島一番の高台に建つ琴平神社の神殿には、島の昔の様々な風景写真が展示されています。
与論島へ旅する機会があったら、神殿の中に一歩足を踏み入れてみてはいかがでしょうか。

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by yoronto | 2011-08-24 12:29 | 子供の頃

“魂の島”、日本の高齢化社会の手本が与論島にある

2006年1月14日付の記事にて、ノンフィクション作家の吉岡忍さんが朝日新聞で与論島を“魂の島”と紹介したコラム記事を書いたことを紹介しました。
この魂の島という言葉は、地元を中心に活動する人気バンド「かりゆしバンド」の代表曲の曲名にもなっています。



私は18歳の時に東京の大学へ進学するため島を離れました。
以来29年の歳月が流れ、郷里で暮らした年月よりも本土暮らしのほうが長くなりました。
そんな私ですが、今更ながら魂の島という言葉を聞いてふと思ったことがあります。
日本は今後ますます高齢化社会にシフトしていくといわれていますが、今後日本人が長生きしていく上での手本が実は与論島にあるのではないかと。

与論島は、本土に比べると生活の利便性はよくありません。
物質面や施設面などでも豊かではありません。
それなのに、与論島には長生きしている人がたくさんいて、物に恵まれていない自分たちを不幸だとは思わない人がたくさんいます。
亡くなった私の祖母は、戦前戦中を生き抜き、戦後は生きるために必死に働き、私が記憶するところ食事は粗食ばかりでした。
そんな生活環境にありながら愚痴もこぼさず、年老いて働けなくなってからはいつも笑顔で子供や孫たちの成長を見守っていました。
その祖母は100歳で他界。

医療施設も介護施設も充実し、生活の利便性もいい都会は老後の生活には最適な場所にも思われますが、それが“幸せ”につながるかといえば必ずしもそうは言えないと思います。
年取って動けなくなった、ボケてしまった親の介護をしたくないので施設や病院に預けたい子供、家族の絆の希薄さを感じ寂しさを感じる親、そんな親子の関係も浮かんできます。
高齢化社会の問題を議論する時に、欧米、特に北欧の国々に範をもとめようとする動きがありますが、私があえて言いたいのは、なぜ本土の人たち、国の偉い人たちは足元を見つめようとしないのか、日本という国の中でも範を探そうとしないのかということです。

私は、与論島で生きる人々の暮らし方、生き方は世界にも十分手本になるものだと考えています。
与論島の人々は親を敬い、先祖を敬い、自然を崇拝し、自然の恵みに感謝し、困ったことがあれば島民同士お互い協力し合って生きています。
かつて韓国ソウル出身の友人を与論島の実家へ連れていったことがあります。
その時、その友人は与論島の家族の関係や先祖を敬う姿を見て、この島には儒教文化がしっかり根付いていると感動していました。

高齢化社会では医療面や福祉制度などを充実させて身体の健康を保つことも重要でしょうが、同時に精神面を充実させていく、つまり、人々が「長生きしたい」、「長生きしてよかった」と心から思えるような環境づくりも重要なのではないでしょうか。
日本にはそんな環境づくりをする上で手本にできる地域がたくさんあるような気がします。
私はその一地域として与論島を推したいと思います。
与論島の魅力、人々の温かさに触れ都会から移り住んだ人もいます。
以前の記事にも書きましたが、作家の森瑤子さん(故人)は与論島の虜になりこの島に別荘を建てて時々ここで暮らしていました。
私は年1回程度帰省しますが、帰省する度に島の良さを改めて少しずつ再認識しています。

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by yoronto | 2011-08-22 01:06 | 島の人々