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<与論島から見える沖縄本島>
<与論島から見える沖永良部島> 2008年6月15日の記事で、与論島は鹿児島県であるということを言いました。 知っている人は知っているのですが、実は知らない人も多く、与論島は沖縄県だと思っている人も多いんです。 まぁ、そんなこともあって改めて正しい情報を発信したわけですが、でも、与論島は沖縄本島のすぐ近くにあり、同じ鹿児島県の隣の島沖永良部島よりも沖縄のほうが近いんですよね。 以前、鹿児島市出身の人に私が与論島出身である旨話したら、「それ、どこにあるの?」と言われガッカリしたことがあります。 鹿児島県最南端の島なので知っているかと思っていたのに、この人にかぎっていえばその程度の認識だったわけです。 その時思ったのは、案外、鹿児島県の人より沖縄県の人のほうが与論島の場所は知っているのではないかということでした。 考えてみると、沖縄はもともとは琉球王国というれっきとした独立国家だったのであり、与論島はその一部だったのです。 それが薩摩藩に滅ぼされてしまい、その後廃藩置県で与論島は鹿児島県に編入されたのです。 地理的な関係でみても、なぜ与論島が鹿児島県でなければならないのかよくわかりません。 いまだに島民の生活や文化は沖縄に近いのが現実なのに。 以前、市町村合併の話が出た時に、与論町を沖永良部の町と合併するという案が出ていましたが、まったくナンセンスな構想だと思っていました。 霞ヶ関の心ある若手官僚たちが主催した勉強会に参加した際、参加者にこの話をしたら、「離島の市町村を合併しても何の効果もないね」と言われました。 一体誰が、何の目的で、どういう効果を狙ってこんな構想を持ち出したのでしょうか。 著名な世界的経営コンサルタントである大前研一氏は、日本は都道府県制をやめ日本をいくつかの地域に分けた道州制に移行していくべきだと主張し、沖縄については、東京のほうを向かないで、アジアの中の沖縄という視点で地域の発展を考えるべきだとユイマール・ビジョンを提案していました。 こういう考え方に共鳴する人はけっこういます。 与論島の地理的位置づけを考えれば、今後、与論島はどこを向いて進んでいけばいいのか真剣に考えたほうがいいかもしれません。 従来通り鹿児島なのか、沖縄なのか、アジアなのか、世界なのか。 私は行政単位でいえば沖縄のほうがいいと思うし、経済圏でも沖縄経済圏のほうがいいような気がしています。 こういった議論が与論島の若手を中心に起きるのを期待したいところです。
by yoronto
| 2011-11-23 09:22
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