本名:竹内富雄。ハンドルネーム:ヨロン。東京オリンピック開催の年1964年、南洋の海に燦々と輝く真珠のような島“与論島”で私は生まれました。私の原点と魂は今もなおこの島にあります。
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2011年10月27日付の記事でも述べたことですが、与論島の今後の発展を考える上で、鍵を握るのは“人材”であることは間違いありません。
このことは、私自身が現在体験していることからも強く感じています。 私は今年から人材系のベンチャー企業で働いています。 勤務先:株式会社人材研究所 ホームページ: http://jinzai-kenkyusho.co.jp/ Facebook: http://www.facebook.com/#!/jinzai.kenkyusho この会社は、企業が求める人材をその企業に代わって集め供給するという事業を行っています。 私も一担当者としてそのお手伝いをさせていただいています。 そんな体験を通して、今の世の中、いかに多くの企業が優秀な人材確保に必死になっているかがよくわかります。 この状況は、全国各地でまったく同じでしょう。 もちろん、与論島も例外ではないはずです。 これからは、与論島在住の人材だけでなく、島外から人材を呼び込んでいく努力が必要です。 与論町の町役場なども内部改革を行って、人材の登用、外部人材の受け入れをやっていったほうがいいでしょう。 東京に住んでいるとひしひしと感じるのですが、私たちを取り巻く環境は想像以上に早いスピードで進んでいます。 古き良き与論島を懐かしんでいるばかりでは時代から取り残され、ますます過疎化が進み、寂れた島になってしまいかねません。 与論島在住の皆さん、そして島外で与論島の発展を願う皆さん、一緒に人材の重要性について共通認識を持とうではありませんか。 与論島は今、主力産業である“サトウキビ”の収穫の真っ最中で、どこのサトウキビ農家も毎日朝から夕方まで収穫作業に追われているようです。
今は東京暮らしで実家の手伝いもできない私が言うのは心苦しい気もしますが、昨今の与論島のサトウキビ農家が抱える課題は次の三点でしょう。 1.低い生産性 2.TPP問題等による国際競争の脅威 3.生産者の後継者不足 そして加えて言えば、昔からの古い考え方に固執するご高齢な方々の時代対応の遅れでしょうか。 私の実家の例でいえば、現状では、かなり高齢の父と姉の二人だけがサトウキビの収穫作業に従事しており、二人で朝から夕方までフルタイムで頑張っても大した収穫量にはならないそうです。 かつてなら、男兄弟たちも数名いたので、かなり楽に収穫できたものです。 現在、各農家でそういった現状があるので、収穫機械の導入も進められ、労働力不足の農家は機械を持っている農家などに収穫作業を依頼することができるようです。 ただ、これにはもちろん費用が発生するので、生産量の少ない農家にとっては、サトウキビ栽培に伴う諸々の費用と合わせ負担になっているのが現実です。 日本の農業全体の問題でもある農業従事者の高齢化、後継者不足、低生産性は、人口の過疎化と合わせ与論島に大きな打撃を与えていることは間違いありません。 低い生産性は収入にも影響するので、家計は火の車になり生活は困窮するばかりでしょう。 もちろんこのままでいいはずがありませんから、現在島で暮らしている若い人たちの頑張り、そして島外で暮らしている島関係者の応援や支援がますます必要になってきそうです。 ![]() ![]() ![]() ![]() 与論島を出て本土で暮らし始めてから違和感を感じたことの一つにイカの塩辛料理があります。
イカの塩辛料理のことを与論島では“イチャガラシ”と呼んでいます。 イカの塩辛はお酒の肴に合うので好きなのですが、私はやっぱり与論島の塩辛が好きですね。 ![]() ![]() 南の島々では、年が明けると本格的なサトウキビの収穫が始まります。
与論島も同様です。 今の時期から春先まで島のいたるところでこの収穫作業が行われます。 最近は大型の機械を使っての収穫作業も行われつつありますが、多くの農家はいまだに家族総出の人海戦術でこの作業を行っています。 この作業がまた重労働なんですよね。 子供の頃から島を出るまでこの作業に携わりましたが、よく筋肉痛になり大変でした。 私の実家は男の子供が全員島外へ出てしまったため、現在は、高齢の両親と女性の姉たちだけが人出です。 これは私の実家だけでなく、他の農家でも似たような状況です。 昔よく言われた“三ちゃん農業”(農業の担い手が、じいちゃん、ばあちゃん、かあちゃんしかいない)そのままといった感じでしょうか。 自分の可能性や収入を求めて、豊かな生活へ憧れて若い人たちはどんどん島を出ていくため、重労働を伴う農家の担い手が減っていき、残された高齢者たちや数少ない若者たちだけで何とかしなければならない現状があります。 農家の後継者の問題は全国的な問題なのでしょうが、与論島でも深刻な問題の一つです。 何はともあれ、今、サトウキビ収穫に勤しんでいる農家の皆さんには大変な時期ですがぜひ頑張ってほしいと思います。 島の大事な産業を支えていただいていることに大変感謝いたします。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
与論島の海岸には、防風(砂)対策で“モクマオウ”という木がたくさん植えられていますが、その中に散策のための遊歩道がつくられています。
朝や夕方などにこの道を散歩するととても気持ちがいいんです。 海のすぐそばなので潮の香りも感じられます。 与論島へ行く機会があればぜひこの遊歩道を歩いてみてほしいですね。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 私が知りうるかぎりにおいては、島外の人たちは、与論島に“都会”的なものってあまり求めていないような気がします。
むしろ、自然だとか、昔ながらの牧歌的な風景とか、素朴な島民気質とか、そんなものを求めているようです。 きっと、島民の中には都会的なものを欲している人もいるかもしれません。 都会のように華やかな場所があったらいいなぁとか、都会で買えるものが島のお店でも買えたらいいなぁとか、ファッションも都会的にしたいなぁとか、便利な施設があったらいいなぁとか。 そういう気持ちもわからないわけではありません。 でも、たぶん、与論島が都会化したら島外の人は与論島に魅力を感じないでしょう。 都会型のリゾート施設がたくさんできたら、むしろ観光客は減っていくでしょうね。 島外の人は、本土や都会、他の島にないものを求めて与論島へやってくるのです。 そういうことを考えると、与論島は、自然を大切に守り、昔ながらの良さを引き継ぎ、与論島らしさをアピールしていくというのが賢明な選択かもしれません。 与論島の民家が都会的なものじゃつまんないですよね? ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 与論島民は、古くから先祖を敬い、先輩に敬意を払いながら生きていますが、それは、島民の心の中に、今の自分たちがあるのは先人たちの血と汗と涙のおかげでという強い思いがあるからでしょう。
いつまでも大切にしたい精神です。 <琴平神社の境内に建つ碑> ![]() ![]() ![]() ![]() “ドラゴンフルーツ”という果物をご存知でしょうか?
メキシコなど中南米が原産国で、現在は、東南アジアや中国、台湾などアジアの国々でも栽培されている果物です。 植物分類上はサボテンの仲間に属し、栄養素は、アルプミン、アントシアン、ブドウ糖、リン酸、ポリフェノール、食物繊維、カロチン、カルシウム、鉄、ビタミンB1・B2・B3、ビタミンCなどが含まれており、健康食品として注目されているそうです。 (ウィキペディアの解説より) このドラゴンフルーツ、日本では沖縄など南西諸島でも栽培が盛んなんです。 実は与論島の農家もけっこうドラゴンフルーツの栽培に力を入れています。 与論島へ行ったら、島内のあちこちでドラゴンフルーツの畑を見かけるでしょう。 ![]() ![]() ![]() ![]()
先日、あるTV番組でイタリアのどこかの小さな島が紹介されていましたが、その島には多くの芸術家たちが住み芸術活動に励んでいるそうです。
この番組を見て、ふと思い付きました。 与論島が今後目指す町づくりの方向として、自然保護と並んで “文化・芸術”を柱にしてはどうか 女流作家の故・森瑤子は与論島を愛し、与論島を舞台にした小説を書き、与論島に別荘を建てて住んでいました。 与論島の自然・環境は、案外文化人や芸術家に好かれる面があるかもしれません。 文化・芸術的な発展なら工業・商業的な開発と違って自然を損なうこともないと思うのです。 具体的なアイデアとしては、例えば、 文化・芸術の新興を目的とするイベントを開催するとか、島外から芸術家を招聘して島内にある素材を使って芸術活動をしてもらうとか(絵を描く、彫刻など)、島に移り住んで文化・芸術活動をする人を支援するための制度をつくるとか。 そういうことに感化されて、島民にも文化的・芸術的センスが芽生えていくかもしれないし、、、いかがでしょうか? ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 昨日1月3日、与論島では、昭和39年生まれの人たちを祝う『クントゥグンジュー歳祝い』というイベントが盛大に開催されたと聞いています。 実は私も対象者で案内状が届いていたのですが、残念ながら諸事情で帰省できず参加を諦めました。 気持ち的には参加したかったのですけれど。 早い話、島の学校で同級生だった友人たちの集いなのですが、中には学校卒業後30年以上会っていないような人もいるので、もし参加できていたら懐かしい再会を喜び合い盛り上がっただろうなと思います。 きっと、集った人たちはお互いの近況を報告し合いながら旧交を温め合って盛り上がったのではないでしょうか。 私が言うのも何ですが、私たちの世代はけっこうパワーがあると思っています。 現在いろんな分野で活躍している人たちもたくさんいます。 48歳はいろんなことを経験し、世の中のことも知り、培った力でいろんことができる世代です。 昭和39年生まれ組の仲間の皆さん、与論島、日本、世の中のために共に頑張ろうではありませんか!
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